白黒(仮称) day 1
ウェールズの女性アーティスト jemの「they」って歌が
ラジオでかかって耳に残る。メランコリックなカンジの静かな歌。イイ。
次のPainter絵に着手。
今回は背景だけ色つきにして人物をモノクロにしようと考える。
sin cityの予告映像を見て以来Painterでも白黒の絵ばっか
描いてるしな。
とりあえずタイトルは「白黒」(仮称)。
スケッチブックにcopic multi liner 0.8mmで描く。
スキャン用というよりアイディア用に、関係ナイ絵とかも
一枚の紙に描く。
あいさの時に過日購うところの町田康「告白」をちょろちょろ読み進む。
おもろいのう。
読みながら、話を脳髄内でまんが化というかビジュアル化しつつ読ム。
ちなみに脳内での絵柄はなぜか水木しげる調ナリ。
- つづく -
SIN CITY真似絵
そういうワケでさっそく映画「シン・シティ」の
モノクロ・ポスターアートを真似して描いたり。
スクラッチボードツール、フラット消しゴム、エアブラシ。
いちおうジェシカ・アルバのつもりで。
原作者フランク・ミラーは劇中でデボン青木演じるポン刀ビッチが
フェイバリッツのようだ。→ウェイン町山氏のblog内
"2005-03-29 フランク・ミラーに会った" の記事参照。
ほかにも「シン・シティ」関連記事アリ。
考えてみりゃ、ジェシカ・アルバもデボン青木もホッペがむっちり型だ。
ブリタニー・マーフィもまあふっくらホッペといえなくもない。
ロザリオ・ドーソンは論外だけど。ははは。
フランク・ミラー。ホホフェチなんだろうか ?
うーむむ、ラヴ・アンド・ピーチ。
弓矢 (仮称) day 3
ロバート・ロドリゲス&フランク・ミラーの共同監督映画
「シン・シティ (SIN CITY)」の予告観たり。
ぐおお、かっちょイイ !
おんなじロドリゲスの「デスペラード レジェンド・オブ・メキシコ」で
ナチュラル・ボーン・極悪面のウィレム・デフォーに
散々イジメられとったミッキー・ロークが主役なんかな。
原作コミック読んだ事ねーんだケド、フランク・ミラーの描く
ブラック&ホワイトのゴリゴリしたアートは、すこし素っ気ないかなと思う。
まあ多分ストーリーのハードさにマッチする硬質感だろうと想像するケドが。
白黒なら、田中政志氏が描いたマンガ「FLASH」のアートが
ワタクシはスキだなあ。コントラストがでらキレイだった記憶がある。
今絶版なんだっけ。ナゼ ?
Painter作業つづき。
色塗りがひと段落ついたので割付印刷でプリントアウト。
コレ見つつ、付け足した方がイイような要素などを考えて
いつもと同じく余白に背景の案など描く。
画面上辺に描き加える鳥を、なんとなくメジロに決定。
資料を求めてググったりして見つけたいくつかの写真を
基にちくちく描く。似なくてもキニシナイ。
遠景を描く。
背景にクロスハッチングもどきで明暗をつける。
パレットナイフを用いる。特に考えなくしゃかしゃか描く。
細かいトコ見直して仕上げ作業。
最後にサインして完成ナリ。
今回は、あえて不透明絵の具で厚塗りせず
人物は透明水彩で塗ったままに。なんとなくその方がイイかなと。
タイトルは「弓矢」のままで。ほかに思い浮かばない。
出来上がった絵は下記サムネイルからドウゾ。
- おしまい -
弓矢 (仮称) day 2
引き続きLEATHERFACE「dog disco」聴き中。渋いのう。
やっぱ9曲目"Bakelite"はスキだ。
ワーチューセ、ワーチューセー、ウォーオーリズメィ。
アナログ ~ Painter作業つづき。
服が決まらんし、線画をこれ以上いじって挙げ句ナニもかも台無しになるのが
オソロスィ。アナログには当然UnDoが無いし。
このままいろいろ描いては消してで紙がぼろぼろになんのもイヤなんで
さっさとスキャンして服はPainter上で描くとこに決定。
スキャンした素のヤツはオリジナルとしていったん保存。
クローンしてリサイズ、キャンバス継ぎ足し。
毎度のごとく「表面テクスチャの適用」コマンドで
テクスチャ適用量ゼロで全体をぼややーんと明るくして
スキャン時の紙の暗さをトバす。
服を検討。検討ったって大して考えることもねーけど。
ググったりして色々装備を調べる。
実物がどんなんか見た上で服をデタラメに描く。
線画であらかた決めたら次に彩色。
さいしょに透明水彩。基本的な配色を決めておおまかにさっさか塗る。
次に輪郭をガッと強調したい部分にスクラッチボードペンで
いわばペン入れをス。
アナログで描いた線は必要以上にいじらズ。
彩色の細かなトコ。ひきつづき透明水彩で重ね塗り。
ここらへんはウスウスのスケスケ素材に見えるように。キモチ的に。
うーむ、今回はだいぶはかどったがや。ははは。
次回作業のToDoメモ。思いつきを忘れんように。
- 壱 ) , 上の空間がようけ余っとるので枝か花かなんか描いて
鳥かなんかを北斎のパクリで逆さに描くかも。いらんかな - 弐 ) , 背景に的の扇子、幟みたいなヤツをちょこちょこっと描く。かも
- 参 ) , なんか考える
- つづく -
弓矢 (仮称) day 1
UKのパンクバンドTHE BLOOD 1983年のデビューアルバム
「False Gestures For A Devious Public」聴き中。
これは1994年HARRY MAY RECORDからの再発。オリジナルアルバム+各種
ボーナストラック。いちおう1250枚Limitedのピクチャーレーベル仕様。
磔刑のジーザスの周りに市が立っている。
人類の罪を一身に背負って死んだはずのジーザスを
そこに居並ぶ世俗的な人々はだーれも気にも留めていない。
手前のババアなんか鼻くそほじってるし、というひでえ図のジャケ絵。
ははは。
パンク的瞬発力をもった勢いのあるメロディ、Oi ! 的なシンガロング要素、
自己陶酔的なメタリックなギターサウンドによって
ヘボさと猪突猛進とが渾然一体となったBLOODサウンド。カッコいい。
を、聴きながら次のPainter絵にする下絵描き。
芯ホルダー + スケッチブック。
弓矢を持った人物の絵をアレコレ考える。とりあえずタイトルは
「弓矢」(仮称)。
しゃっしゃか描きまくり。特筆の事ナシ。
描きながらなんとなくほかに思いつく事を同じページの余白に
描いたりしつつ。
考えてみりゃ、ワタクシはいっつも人物をハダカから描くんで
服が思いつけない。今回のもそうなのね。
せっかく描いたのに服でハダカを隠したくない、という貧乏根性もあり。
最初っから服着た人物を描けばイイんだけど。
うーむ、どんな服装にしよう。
- つづく -
ベクシンスキーについて (追補 : 2008.9.4)
2/23のベクシンスキーの悲報を知って以来、故人に関するテキスト、報道を
ぽつぽつとネットで拾い読み。
洋書で出てる画集。
ワタクシが持ってるのはガワのジャケットがスレててちょっと汚い…。
日本語ニュースでその後の続報ねーなと思っとったら英文で既に
容疑者逮捕のニュースがあった。いまやニュースというより
旧聞に属するモノだけど。
先月2/25の段階でベクシンスキー殺害の犯人として拘束されているのは
19才のRobert K.。Robert・某、みたいなもんか。
17箇所を刺して殺した主犯。自白した模様。
もうひとり、16才のLukasz K.が共犯で拘束。こいつらは親戚のようだ。
主犯のヤツはベクシンスキーの長年にわたる友人であり支援者の息子らしい。
犯行の動機は不明ながら、金をせびろうとして断られたのが動機という
見解アリ。
ベクシンスキーは少年時代、ナチスのポーランド侵攻を経験している。
でもベクシンスキーにとっての死の天使は、第二次世界大戦でもナチスでもなく
平和な時代に生まれ育った同じポーランド人(多分)、それも長年の友人の
息子だったわけだ。皮肉というか何というか。
ベクシンスキーの絵は「幽玄」の一語がよく似合うとワタクシは思う。
淡い闇の深さ、黄昏のような荒涼として死に絶えた風景のなかに
人とも獣とも区別が付かない異形の者が無言で佇む。
ごく僅かだけど、まれに画面にのぞく青空は鮮烈でものすごく綺麗。
ベクシンスキーの略歴。
(「beksinski biography」でググって出てきたいくつかのサイトを参照セリ。)
ズジスワフ・ベクシンスキー Zdzislaw Beksinski (1929 - 2005)
1929年2月24日(警察の死亡発表が2月22日だから、誕生日の数日前に
殺された事になる)
ポーランド南東、国境に接した小さな町サノクに生まれる。
曾祖父はワゴン工場( ってナニ? )設立。祖父は建築士、父は測量技師。
このような家系の圧力から、戦災を免れた古都クラクフにある
クラクフ工業大学の建築・設計学部( ? )で1947~1952年まで学ぶ。
1951年に妻帯、工事監理者として建築業務に従事。
1958年に息子Tomasz誕生。
ここでちょっと小ネタ。
ベクシンスキーが学ぶことになる古都クラクフには第二次大戦中
ナチスが作ったユダヤ人・ゲットーがあったそう。
そのクラクフ・ゲットーにベクシンスキーより四つ年下、パリ生まれの
ユダヤ系ポーランド人の少年がいた。
収容所送りとなった母親とは死に別れる。
ゲットーを脱して戦火を生き延び、のちに映画監督となった。
かれの名はロマン・ポランスキー。
クラクフが舞台の映画「シンドラーのリスト」監督オファーを
自らの体験に近すぎると辞退、近年になってからナチス圧制下の
ポーランドを描いた映画「戦場のピアニスト」を手掛けた。
この映画で描かれた瓦礫と硝煙、火炎放射の燃えさかる炎で
彩られたポーランドの惨状は、ベクシンスキーの絵画と
当然ながらよく似ている。
閑話休題。
不本意な建築の仕事に興味を持つことなく、幼少から持ち続けた
熱意にしたがって芸術の分野に身を投じる。
1977年、故郷サノクを後にして首都ワルシャワへ家族と共に転居。
大都市の人混みに紛れる無名の一市民として、さながら隠棲のごとき暮らし。
1987年 "夢"(The Dream) 、
1990年 "ベクシンスキーの謎"(The mystery of Beksinski) として
アートワークを題材としたふたつのショートフィルムが制作された。
1998年、妻に先立たれる。
1999年のクリスマス・イブ、息子Tomaszが鬱病の果てに自殺。
遺体の第一発見者はベクシンスキーだった。
そのすべてが無題である彼の作品は、母国ポーランドはもとより、フランス、
日本、アメリカなどでも根強い支持を得る。
作品を描き上げるに際しては、超爆音のクラシックをBGMとし、
絵は大きなサイズで制作されたという。
造形、ドローイング、ペインティングほか、1997年からはCGでの
フォトコラージュも手掛ける。
母国語以外は話さず、母国を離れた事は一度もなかった。
地位を確立した後も、マスコミ嫌い、政治不信、集団を嫌って孤独を好んだ。
" 私の絵に定義づけ、意味を問う行為は無意味だ。私自身意味は分からないしね。
そのうえ、理屈にはサッパリ興味が無いんだ。"
" 描き始めた当初からひたすら専念してきたのは、うつくしい絵を描こうという、
ただそれだけ。"
この75年間の人生の結末。あらためてご冥福をお祈りいたします。
追補 2008-9-4
いまさらだけど、以前調べたときに検索から漏れてたサイトで
ベクシンスキ殺害の細部が語られていたところを追記。
ナガミミヨザル2号 さんのコンテンツ "このごろのボグダン"という
日記ページの2005/02/26 ~ 02/28の記事参照のこと。記事は日本語訳。
ボグダンとは在ポーランド、クラクフのアーティストのようです。
あわせて、このごろのボグダン exblogのメール報告: ベクシンスキの絵
のエントリ参照されたし。
すこし引用させてもらうと、非業の死から2年半、故人の住居から
さいごのさいごに発見されたのはベクシンスキが幼い頃に描いた
絵の数々。
かれの母親が戸棚の奥底にひそかにしまっておいたものだという。
タイトルは「お父さんとお母さん」、ほか。
- 怒りの日 -
2006年11月9日、ワルシャワ地裁(?)は殺害の主犯 Robert Kupiec に対し
ベクシンスキ殺害の罪で懲役25年の判決を下した。
共犯 Lukasz Kupiec には懲役5年。
被告弁護団は、共犯 Lukasz Kupiec について犯行当時16才という
年齢を考慮し、犯行においては従属的立場にあり、その責任能力の
有無を争う姿勢であるという。
対する検察側は、被告Lukasz Kupiec はベクシンスキ殺害の意図を
明確に理解して事件に関与したとの主張を展開する模様。