カテゴリ: "news"
ベクシンスキーについて (追補 : 2008.9.4)
2/23のベクシンスキーの悲報を知って以来、故人に関するテキスト、報道を
ぽつぽつとネットで拾い読み。
洋書で出てる画集。
ワタクシが持ってるのはガワのジャケットがスレててちょっと汚い…。
日本語ニュースでその後の続報ねーなと思っとったら英文で既に
容疑者逮捕のニュースがあった。いまやニュースというより
旧聞に属するモノだけど。
先月2/25の段階でベクシンスキー殺害の犯人として拘束されているのは
19才のRobert K.。Robert・某、みたいなもんか。
17箇所を刺して殺した主犯。自白した模様。
もうひとり、16才のLukasz K.が共犯で拘束。こいつらは親戚のようだ。
主犯のヤツはベクシンスキーの長年にわたる友人であり支援者の息子らしい。
犯行の動機は不明ながら、金をせびろうとして断られたのが動機という
見解アリ。
ベクシンスキーは少年時代、ナチスのポーランド侵攻を経験している。
でもベクシンスキーにとっての死の天使は、第二次世界大戦でもナチスでもなく
平和な時代に生まれ育った同じポーランド人(多分)、それも長年の友人の
息子だったわけだ。皮肉というか何というか。
ベクシンスキーの絵は「幽玄」の一語がよく似合うとワタクシは思う。
淡い闇の深さ、黄昏のような荒涼として死に絶えた風景のなかに
人とも獣とも区別が付かない異形の者が無言で佇む。
ごく僅かだけど、まれに画面にのぞく青空は鮮烈でものすごく綺麗。
ベクシンスキーの略歴。
(「beksinski biography」でググって出てきたいくつかのサイトを参照セリ。)
ズジスワフ・ベクシンスキー Zdzislaw Beksinski (1929 - 2005)
1929年2月24日(警察の死亡発表が2月22日だから、誕生日の数日前に
殺された事になる)
ポーランド南東、国境に接した小さな町サノクに生まれる。
曾祖父はワゴン工場( ってナニ? )設立。祖父は建築士、父は測量技師。
このような家系の圧力から、戦災を免れた古都クラクフにある
クラクフ工業大学の建築・設計学部( ? )で1947~1952年まで学ぶ。
1951年に妻帯、工事監理者として建築業務に従事。
1958年に息子Tomasz誕生。
ここでちょっと小ネタ。
ベクシンスキーが学ぶことになる古都クラクフには第二次大戦中
ナチスが作ったユダヤ人・ゲットーがあったそう。
そのクラクフ・ゲットーにベクシンスキーより四つ年下、パリ生まれの
ユダヤ系ポーランド人の少年がいた。
収容所送りとなった母親とは死に別れる。
ゲットーを脱して戦火を生き延び、のちに映画監督となった。
かれの名はロマン・ポランスキー。
クラクフが舞台の映画「シンドラーのリスト」監督オファーを
自らの体験に近すぎると辞退、近年になってからナチス圧制下の
ポーランドを描いた映画「戦場のピアニスト」を手掛けた。
この映画で描かれた瓦礫と硝煙、火炎放射の燃えさかる炎で
彩られたポーランドの惨状は、ベクシンスキーの絵画と
当然ながらよく似ている。
閑話休題。
不本意な建築の仕事に興味を持つことなく、幼少から持ち続けた
熱意にしたがって芸術の分野に身を投じる。
1977年、故郷サノクを後にして首都ワルシャワへ家族と共に転居。
大都市の人混みに紛れる無名の一市民として、さながら隠棲のごとき暮らし。
1987年 "夢"(The Dream) 、
1990年 "ベクシンスキーの謎"(The mystery of Beksinski) として
アートワークを題材としたふたつのショートフィルムが制作された。
1998年、妻に先立たれる。
1999年のクリスマス・イブ、息子Tomaszが鬱病の果てに自殺。
遺体の第一発見者はベクシンスキーだった。
そのすべてが無題である彼の作品は、母国ポーランドはもとより、フランス、
日本、アメリカなどでも根強い支持を得る。
作品を描き上げるに際しては、超爆音のクラシックをBGMとし、
絵は大きなサイズで制作されたという。
造形、ドローイング、ペインティングほか、1997年からはCGでの
フォトコラージュも手掛ける。
母国語以外は話さず、母国を離れた事は一度もなかった。
地位を確立した後も、マスコミ嫌い、政治不信、集団を嫌って孤独を好んだ。
" 私の絵に定義づけ、意味を問う行為は無意味だ。私自身意味は分からないしね。
そのうえ、理屈にはサッパリ興味が無いんだ。"
" 描き始めた当初からひたすら専念してきたのは、うつくしい絵を描こうという、
ただそれだけ。"
この75年間の人生の結末。あらためてご冥福をお祈りいたします。
追補 2008-9-4
いまさらだけど、以前調べたときに検索から漏れてたサイトで
ベクシンスキ殺害の細部が語られていたところを追記。
ナガミミヨザル2号 さんのコンテンツ "このごろのボグダン"という
日記ページの2005/02/26 ~ 02/28の記事参照のこと。記事は日本語訳。
ボグダンとは在ポーランド、クラクフのアーティストのようです。
あわせて、このごろのボグダン exblogのメール報告: ベクシンスキの絵
のエントリ参照されたし。
すこし引用させてもらうと、非業の死から2年半、故人の住居から
さいごのさいごに発見されたのはベクシンスキが幼い頃に描いた
絵の数々。
かれの母親が戸棚の奥底にひそかにしまっておいたものだという。
タイトルは「お父さんとお母さん」、ほか。
- 怒りの日 -
2006年11月9日、ワルシャワ地裁(?)は殺害の主犯 Robert Kupiec に対し
ベクシンスキ殺害の罪で懲役25年の判決を下した。
共犯 Lukasz Kupiec には懲役5年。
被告弁護団は、共犯 Lukasz Kupiec について犯行当時16才という
年齢を考慮し、犯行においては従属的立場にあり、その責任能力の
有無を争う姿勢であるという。
対する検察側は、被告Lukasz Kupiec はベクシンスキ殺害の意図を
明確に理解して事件に関与したとの主張を展開する模様。
試験運用 day 3
そういやコーレル日本法人設立のニュースがあったんだった。blogらしく時事ネタも書いとこ。
メディアヴィジョンからイー・フロンティアに移管した製品もあらためて
引き継がれ、今度からはコーレル・ジャパンで扱う由。
ほんで待望のPainter IX 日本語版も3/4にようやくリリース。
しかし英語版リリースから、日本語ローカライズしてのリリースに
こんなにラグがあると、将来のパッチやマイナーアップデートに
一抹の不安をおぼえるのう。
さて前回の続き。
ウーララ、行き詰まりだマザファッカ。
とりあえず当初の目的の腰回り塗り続行。良さげな案が出てくるまで
ひつこいくらい塗りまくり。
と、ここでCDを聴きつつ。
LAETHERFACEのレイティストな「DOG DISCO」、Oi-Melz「verfluchte Oimelz」
前者のジャケはクラクラするほどヘボいけど、鳴り響くメロディは
間違いなくLEATHERFACEワールドなワケですよ。
まあ正直前作「HORSE BOX」の方がスキかな・・。前作収録の
シンディ・ローパー"トゥルー・カラーズ"のカバーは
スローバラード風の原曲をロック調に渋くアレンジしてFrankieが切々と歌う
イイ曲なり。
しかしこうしてあらためて考えると、にわかに動物づいたアルバムタイトル
だなあ。
後者はドイチェのOi バンド。Vo.がLEATHERFACEのFrankieさながらの
哀愁ボイス。結構にてる。
サウンドも疾走感と情感があってカッコいい。ただいわゆるOiか、というと
シンガロングな要素は薄いというか、ぽくない気がしなくもない。
ちなみにOiといえば、LEATHERFACEは英のOi バンド ANGELIC UPSTARTSの
トリビュート盤「We Are The People」に参加して
"Teenage Warning"カバーを披露している。なんでだろうな。
さてハナシは絵に戻って、いっかな良さげな案は浮かばズ。
と、ここで空飛ぶモンティ・パイソン 第2シーズン DVDでも観つつ。
スパームスパームスパームのスケッチ(コント)があるヤツ。
絵とは微塵も関係ねー時間を過ごしたノチ、描きかけの絵を眺めてて
ちょっと思いつく。それにあわせて左手を描き直し。
イクイップメンツをでっち上げつつ、さらに描き込む。
たいがいは不透明ブラシでコテコテ塗る。エアブラシも併用して、というか
メキメキ多用ス。
不透明度を下げて、裏が透けて見えるうすーいティッシュを幾重にも
重ねるみてえに紗をかけるみてえに、色を重ねる。
描いてるのは2Dだけど、こういう肌触りとしてのテクスチャを
重ねて重ねて、無いに等しいくらいの薄い奥行きを持たせるような作業は
X、Yしかない平面の絵の、ある意味Z軸だろうかと思う。
気分的な問題だけど。
あとは背景にカンタンなの描けばオーケーぽい。
うーむむ、とりあえずええん違う。
さてこれでblogが今現在の絵の進捗状況に追いついた。
今回オンライン上にアップした絵の状況は、まさにワタクシのローカルのソレと
等しい。
なので以降はほんとのリアルタイム更新に。
まあCD、DVD、本その他のネタで更新するかも。
刮目して待て !
- つづく-